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2021.05.16

批評家ではなく、実務家でありたい。奔放でも貫く一本の芯ー田才諒哉さん

田才諒哉さん。若い世代で国際協力に関心のある人なら、一度は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。オンラインサロン「国際協力サロン」創設者で、ファンドレイザーとして国内外のNGOを支援。ザンビア、パラグアイ、スーダン、マラウイなど、たくさんの国際協力の現場を若くして渡り歩いた。

しかし、そんな田才さんがなぜ国際協力に興味を持ったのか?キャリアをどんなきっかけで歩んできたのか?国際協力を仕事にする上で、何を大切にしてきたのか?

そんなことが今まで取り沙汰されることはありませんでした。この記事は、田才さんの原体験や、キャリアを決定づけた選択に迫ることで「田才諒哉」という人間がよくわかる記事になっています。

型にはまらず、奔放にフットワーク軽く決断を下しながらも「実務家でありたい」という軸を貫く。そんな田才さんにインタビューをしました。

田才諒哉(たさい りょうや)
1992年生まれ。新潟県出身。サセックス大学 Institute of Development Studies修了(開発学修士)。現在は国際NGOで主にエチオピア、マリ、ナイジェリア、ウガンダの農業支援に携わっている。これまでに青年海外協力隊としてザンビアでコミュニティ開発、NGOの駐在員としてパラグアイやスーダンでJICAや国連WFPとの協働プロジェクトの実施、国連WFPマラウイ事務所で人道支援に従事。また国際協力の現場での活動だけでなく、ファンドレイザーとして国内NPOや海外NGOを中心にファンドレイジングキャンペーンの企画立案・実行のサポートなども経験。ニュージーランドにバリスタ留学経験もあり、コーヒーが大好きです。

国際協力との出会い編

−田才さん、今日はよろしくお願いします。早速ですが、田才さんのこれまでのキャリアを深掘りしていきたいと思います。まず最初に、国際協力に興味を持ったときのことを教えてください。

最初は全く国際協力とか興味なくて、学校が好きだったから先生になりたかったんです。それで教育学部のある大学に行きました。だから元々、国際協力とかは関係なく教育にはすごく興味がありました。大学に入った後僕が入ったゼミで、パラグアイに学校建設をする活動を学生団体として行っていたんです。国際協力に興味を持ったのはそれがきっかけですね。

-「教育」という軸がここでひとつ見えますね。のちに、e-Educationのインターンでパラグアイにまた行かれたんですよね。

そうですね。その時の経験もあってパラグアイが好きになって、またパラグアイに行ったのですが、そこで学びたくても環境的に学べない子どもたちと出会って「教育」以外の「農業」や「所得向上」にも関心を持つようになりました。

パラグアイの農村部で見たのは、小学校で一番頭のいい子でも「実家の農業を手伝わなきゃいけない」ことが理由で中学校への進学を諦める子がいる現実でした。当時は「教育支援が一番大事」くらいに思っていたんですけど、こういう現実に直面すると、別の視点で「教育を受けられるようにするには」を考える必要があります。その時、所得向上に関心を持ちました。さらに考えていくと、農村部で所得向上をするためには農業が必要で…みたいに、教育以外のものに関心を持ち始めたのはこの時の経験があったからだと思います。

−確かに、社会課題って深く考えれば考えるほど複雑です。ちなみに、国際協力に関心を抱く原体験になったパラグアイに学校建設をするゼミを選んだきっかけは何だったんですか?

友達に誘われたからです。(笑)ゼミの説明会を聞きにいった時、面白いから入ろうと思ったことがきっかけですね。」

−(笑)最初の国際協力との出会いは本当にひょんなことがきっかけだったんですね。

READYFOR時代

−ゼミの活動と、その後e-Educationでパラグアイに渡航したあとはREADYFOR株式会社でクラウドファンディングの伴走支援をされていましたね。「教育」という軸から離れて「ファンドレイジング」という軸にシフトしたのには何か理由があったのですか?

それはですね…

−はい。

友達が働いていたからです(笑)

−またですか(笑)

パラグアイから帰国して、横浜に一人暮らしをしていたからお金が必要だったんですけど、普通にバイトするのもなー…と思っていたんですよ。だからやるんだったら有給インターンがいいなと思って。それで、友達に聞いたらREADYFORを紹介してくれたんで、聞いた次の日くらいにREADYFORに行って、代表の米良さんと面接して合格したんで、行ったその日から働き始めました(笑)

-田才さん、瞬発力がすごいですね(笑)

こういうインタビューとか、僕かっこよく答えられないんですよ。原体験のインパクトが弱いので。もちろん、履歴書なんかにはちゃんと書きますよ。例えば、「パラグアイの活動でNGOの資金不足が問題となり活動を拡大できなかったことがきっかけで、ファンドレイジングについて学べるREADYFORで働いた」みたいな。それっぽいでしょ(笑)後付けしようと思えばいくらでもできますからね。

−確かに、みんながみんなそんなにうまくストーリーが繋がるわけではないですもんね。

そうなんですよ。だから他の人のインタビュー記事とか読んでると、「そんな綺麗に繋がるか!?」とか思っちゃたりします(笑)

−じゃあ、もともとそこまでファンドレイジングに強い関心があってREADYFORで働きはじめたというわけではなかったんですね。

そうですね。ファンドレイジングというよりは、色々な人に出会えたことが楽しくてやっていました。当時READYFORは非常に小さい会社だったので、公開前の案件も含めればスタッフ一人あたり50件くらいのプロジェクトを抱えていた時期もありました。

-50件も!大変ですね。

大変でしたね。会社で寝泊まりしてましたからね(笑)でも、50件プロジェクトを抱えるってことは、50人の人にクラウドファンディングの伴走支援者として関われるってことなんですよ。そこで色々な社会課題に取り組む人だったり、アイドル業とか、退職した後に何か新しいことを始める人だとか「こんなことを世の中でやっている人がいるんだ」っていうのが知れてREADYFORの仕事はすごく楽しかったですね。

−そのまま大学卒業後はREADYFORに就職されたんですよね?

そうですね。ほかにも内定をもらっていたところがあったんですけど、そのままREADYFORに就職しました。

-他のところはどこだったんですか?

青年海外協力隊に合格していたことと、パナマの旅行会社に内定が決まっていました。社長は日本人だったんですが、現地採用的な感じで雇って貰うことになっていました。

−パナマの旅行会社!(笑)これまた意外な進路ですね

パラグアイ時代にスペイン語を話せるようになっていたので、スペイン語で仕事がしたい気持ちがあったんですよね。でもREADYFORに進みました。

-パナマの会社ではなく、READYFORに進んだのは何か背景があったのですか?

僕が大学を卒業するくらいのときに「VOYAGE PROGRAM」という国際協力団体のクラウドファンディングをメインに扱うプログラムの立ち上げ責任者になって、まずはそれをやり切りたいなと思ったのが一つです。でも、いつか国際協力のフィールドに戻るイメージは持ちながらREADYFORに進みました。

ロシナンテス時代

-実際に次のキャリアとして、国際医療NGOのロシナンテスで働いていますね。最初の「教育」というテーマとも離れると思うんですが、これはどういう経緯だったんですか?

それはですね…

−はい。

誘われたからです(笑)

-(笑)

ほんとスタート時エピソード何もなくて申し訳ないんですが、READYFORで伴走支援をしていたロシナンテスの職員さんと繋がりがあって「スーダンの駐在職員を探してるんですけど、田才さん行きませんか?」と声がかかったので、行きます!っていう感じで(笑)

−相変わらずのフットワークの軽さですね。ロシナンテスではどんなことをしていたんですか?

ロシナンテスでは、アフリカのスーダンという国に駐在して、日本人職員が現地事務所に一人という時期も長かったので、もう全部やってました。プロジェクトの監理はもちろん、会計、採用、総務…ほぼ網羅していたと思います。

−プロジェクトの内容としては、どういったことをやられていたんですか?

巡回診療プロジェクトを行っていました。対象地は東京都と同じくらいの広さの砂漠にある30ほどの村でした。東京都と同じ広さってなかなかの大きさだと思うんですけど、そこにはお医者さんも看護師もいない状況でした。なので、スーダン人の医師など医療関係者を巡回診療車に乗せて、村を回って診療していました。僕はモニタリングのために、診療が適切に行われているかとか問題がないかとかをチェックしていました。

-のちに働く国連世界食糧計画(以下、WFP)と出会ったのもスーダンだと言っていましたね。

そうですね。WFPとロシナンテスで協働して、子どもの栄養改善プロジェクトを実施していました。具体的には、MUACというバンドで腕周りの太さを測ります。腕の太さによって子どもの栄養状態がわかるので、それに応じて栄養状態が良好でない子どもには栄養補助剤を配っていました。区分けは緑だと栄養状態が良好、黄色だと危険信号、赤色だと栄養不良の3段階で分かれていました。黄色の子には黄色の栄養補助剤を、赤の子には赤の栄養補助剤を配るんですが、赤の栄養補助剤の子もたくさんいて、こんなにいるのかとショックを受けました。

-それがきっかけとなって、「栄養」というテーマやWFPに興味を持つようになったのですか?

そうです。この時に栄養の問題について深く考えるようになって、これもまた難しいなって。農業を普及させて食べ物を増やそうにも、砂漠では作物は育たないし、僕たちの栄養補助剤の事業は1ヶ月に一回くらいの頻度で配っていたんですけど、それだけで栄養不良が解決するとは思えなくて。実際に自分が事業に携わって深く栄養について考えることで興味を持ったんだと思います。

WFPは、組織自体に興味を持ちました。一緒に働いてみて、フィールドレベルだとスピード感とお金の裁量権がすごい与えられているなって感じたんですね。あとWFPで働いている人と密に仕事をして、純粋に現場に対して真摯に向き合っている人が多かったというのもあります。

WFP編

−ロシナンテスでの事業の次は、イギリスのサセックス大学で修士号を取得されて、そのあとはWFPで働いていましたね。コロナの影響もあり、途中で帰国になったので道半ばだったとは思いますが…実際に働いた期間はどれくらいで、どんなことをされていたのですか?

赴任先のマラウイに約3ヶ月、帰国後もテレワークで3ヶ月ほど働きました。途中で帰国になったのは残念だったんですが、こればかりは仕方ないですね。WFPではパートナーシップを結んでいるNGOとの調整業務を担当していました。食糧供給や現金給付、食糧との引換券(バウチャー)を配るなど、プロジェクトとしては基本的に何かを提供するものが多かったんですが、それを実際行うのはNGOで、WFPは資金の拠出やプロジェクトの評価とモニタリングを担当しています。僕は、WFPと協働でプロジェクトをやりたいというNGOの提案書をチェックして、活動資金をWFPから拠出していいかを判断したり、拠出した後のプロジェクトのモニタリングや、案件形成のためのフィールド調査をしたりしていました。

個人的に感心したのは、WFPの現場との近さですね。実際に1週間くらいマラウイの事業対象地の農村部に行って調査をするんです。調査では、対象地の住民を集めて「この季節にはこの作物が作れる」などの情報を得て、季節ごとにとれる作物を記載したカレンダーを作ったり、それをもとに話し合いをして、今村に必要なものを炙り出して、それに優先順位をつけ、「何が今必要なのか」を明確にしてもらったりしていました。これをやるために受益者の人々に実際に会いに行って話を聞きます。なので距離感でいえば、WFPはNGOよりも近い場合もあるんじゃないかと思いました。国連って、現場との距離が遠いイメージを持たれる方も多いと思うんですけど。

-お話を聞いていく中で、田才さんの国際協力は「現場との近さ」みたいなものに軸を置いているのかなと思ったのですが、何かキャリアを選ぶときに軸にしていることはありますか?

そうですね…「批評家よりも、実務家でありたい」っていうのは一つ大きな軸かもしれません。

国際協力って本当に正解のない仕事だと思っていて。例えば栄養に関しては「栄養不良を改善する」目標に向かっていくアプローチはいくつもある中で、自分の持っている予算とか人員、それと現地の状況を見て何が一番最適かを判断しなきゃいけないわけです。予算が100万しかないのに1,000世帯に毎日栄養補助剤を配るとかは、できたら栄養不良を改善できるかもしれないけれど、現実にはできませんよね。なので、置かれた状況の中で制約がありつつも解を見つけて、前に進んで、時には後ろにも…っていうのが実務家の仕事だと思っているんですけど、そこのプロセスが醍醐味で、一番魅力を感じる部分ですね。

批評家であれば、「状況による」とか、一般化して解を出すと思うんです。それは確かにそうなんですけど、実際に現場に立つと、それでは前に進めない訳です。「状況による」中で何をどんな基準で選択して前に進んでいくのが最適なのかを考えるのは実務家にしかできないこと。その中でたくさん批判も失敗もあると思うんですけど、そこから学んでいく面白さが自分は好きなので、実務家としての道を歩んでいきたいです。

-なるほど。確かに、そう言われてみるとこれまでのキャリアの共通点が見えてきますね。田才さんはどちらかというと分野というよりも、「働く組織の環境」に重きを置いている印象を受けました。そう見るとどれも小さい組織だったり、創業間もない組織だったり、現場に立って、実際に事業を動かしていける裁量の大きさだったりという部分に共通点があります。

うん、そうですね…「考えて実行する」っていうサイクルが早い組織が楽しいかなっていうのはありますね。実務家でありたいっていうところにも繋がってくるんですけど、開発の現場に立って、いろんなリスクがあるっていうことを考え抜いた上でその時に出せる限りのベストな答えを出して、そしたらまた課題が見つかって…っていうことの繰り返しが早いところだと楽しいかなっていう実感があります。

−こうやってみると、奔放に見えていた田才さんのキャリアも共通点が見えてきますね(笑)

「確かに!なんか今、自分でも話しててそうかもって思った(笑)」

 

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